★ブログやFacebookで“キャラが立つ人”とは何か。「イメージ」はこうして生まれる

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■もって生まれた性格や資質を磨き上げる

もともと僕の場合はしごくシンプルで、キャラをつくるもつくらないもない。
二役三役を演じられるほど器用ではないので、いつも「素(す)」である。
2チャンネルでは卑怯で下品で嫉妬深いのに、Facebookでは善人気取り
――なんて芸当はもっていないので、楽といえば楽だ。
というより、性格やキャラを使い分けるなんてめんどくさくてできない。
だからツイッターでもブログでも実名で、個性を変えたりはしない。

 

ただ、なぜ突然「キャラ」という言葉が浮かんだかというと、
天然自然といいながら、やはり生きるということは、
《もって生まれた性格や資質を、こねて、削って、磨き上げること
と、ひらめいたからなのだと思う。
自分では自然流のつもりだったが、キャラ創りをしていたのではないか。

 

もって生まれた性格は内気で気弱で、人見知り。
物心がつき学校という集団生活が始まってからは、
もっぱら“本来の自分”を克服することにエネルギーを費やした。
というといかにも悲壮感が漂うが、欠点は意気地がないだけ。
一方で、幼稚でやんちゃで、あまり悲観的に考えないという面もある。
それでなんとかかんとか人の海と渡りあってきた。

 

文章を書いていると、こういった本来の自分はどこかに隠れ、
攻撃的で鋭く、ナタをブンブン振り回すような激しさが出てくる。
が、もともとは寡黙で、人に向かって自己主張はしない。
人に対すると、十のうち八か九は黙って聞き手側にいる。
だから文章のイメージと「本人」とは180度違っている。

 

キャラ」と「本当の自分」はずいぶん違っているように思う。
で、本日の直観は、「それが何か?」ということなのだ。
読む人は、そんなギャップがあってもなくても気にしないのではないか。
(「わたし」という人間に関心などないから)
そして、興味、関心がある人、または自分にとって“近しい人”は、
文章しか読んでいなくても、“僕のキャラ”の大方は分かってしまうのだろう。

 

それはやはり、にじみ出るキャラを感じる力であろうし、
もっと本質的なもの、
人間の真贋(しんがん)を見抜くような力なのだと思う。
だから自分では『そこは自分の一部に過ぎない』なんて思っても、
相手はもっと的確に、僕の良さも悪さも見抜いているものだ。

 

たまたま自分をネタにして書いているが、これは誰の場合でも同じ。
人が観る像の方が「本人の自分観」よりずっと当たっている。

 

■個性的なキャラをもつ5氏

なんか、理屈っぽくなってしまったね。
もう少し具体的に説明しようか。
個性的な書き手というと、何人かすぐに思い浮かびます。

 

佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長、ユニークな施策を次々打ち出している。
竹虎四代目の山岸義浩さん、虎斑竹を愛し地元大好きな人。
Facebookで2000、3000いいね!を獲得する宮川千明さん
きゃしゃな身体に大きな事業欲、危うくてつい応援したくなる。
“看板のない居酒屋”を経営する岡村佳明さん、照れ屋でシャイで若者の応援団。
「ペコロスの母に会いに行く」のプロデューサー村岡克彦さん
元祖おもしろ真面目、思い込んだら超行動は・・・・・。
みなFacebookではある分野を代表する“有名人”である。
※リンクを張ったので、ご存じない方は見てください。

 

いずれも興味をいだいて取材させてもらった人たち。
1行あえて付け足したのは僕の感想。
当たっているかどうかはわからないが、当たらずとも遠からずだと思う。
これって、まさに「キャラ」だよね。
人物としての“ブランド”が確立している。
そして、よくも悪くもそのブランドを事業に活かしている。
これは「計算」というべきなのだろうか。

 

5人共れっきとした大人である。
計算しないわけがない。
それをあなたは非難しますか?、それともリスペクトする?
「計算」といっても、その計算の度合いはいろいろだと思う。
しかし言えるのは、「素の自分」とかけ離れていないだろうということ。
だから破たんしない。

 

■人間としての美質が現れる

樋渡さんというと、強面(こわもて)に感じる人は多いと思う。
でもほんとうは内気で、人と戦うなんぞまっぴらというほどの大人しさ。
が現実は議会や、世間の無理解、法律の理不尽と真っ向交戦している。
先日、三島で講演があったとき、ラフな服装でスタッフが舞台から降りてきた。
観客の何人かと談笑、それが市長だった。
講演会が始まっても同じ。
ステージから降りてきて、会場の中央で語りかけた。
ホスピタリティが堂に入っている(政治の場で鍛えたのだろう)。

 

武雄市役所で市長にインタビューしたとき、なんとなくピリピリしていた。
時間を気にし、他にも気になることがある様子。
そんな感じがしたので約束の1時間をたっぷり使うのがためらわれ、
要点のみ聴いて、45分で切り上げた。
そのまま席を立って帰ろうとしたところ、自ら庁内を案内し始める。
企画課職員に声を掛け、シャッターチャンスをつくる。
「FB良品」を手掛ける課にも寄ってスタッフと談笑。
こちらが質問しやすい状況をつくってくれた。

 

こういう応接は習慣なのか、訓練したものか、本来の親切心かはわからないけれど、
人間としての美質が自然に出てくるのだろうな、と感じた。

 

もう一人、宮川千明さんのことも。
彼女のFacebook投稿には100%自分撮りが1枚入る。
鼻下にビールの泡を付けた“カーネルサンダー髭”がお得意だ。
昨年彼女はある事業決断した時、「宮川千明、社長として腹をくくりました」と、
1000万円を頭に載せた写真をアップした。

 

こういう行為を絶賛する人も、“イタイ”という人もいる。
しかし僕は『彼女の本質、実はシャイで賢い人』なのではないか、と思った。
取材した限りでは、ほぼ当たり。
「自分撮りは照れくさいから“極端”をやる」と話していた。

 

■     □
書いたり、話したりする行為はある意味、自分を裸にする。

Facebookやブログで成功する人は、圧倒的な知識や経験はもちろんのこと、
裸になり方というのか、自分のキャラを巧みに使っている。
そのキャラは意識してつくる場合もあるし、身についたものの場合もあるが、
皆、それをとても大事にしている。

 

一瞬の直観を人に説明しようとすると、かように長い文章になってしまう。
ここまで読んでくださったあなたは、僕や紹介した5人の方々と
きっと似ている。
生きづらさを感じながらも、まっすぐでウソの付けない人、という意味で。 

ジャーナリスト石川秀樹電本館あるじ)> 

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