★添削論・人の文章を直すということ――「書き手」を活かしてこそだ!

Pocket

 

車を運転しているとき、ふといろいろなことを考える。
「あの人はどうしているんだろう」
突然思い浮かんだのはAさんのこと。
「本をつくりたい」といいながら、最近は連絡も間遠になっている。

 

『やはり入れ込みすぎてしまったかな』

 

Aさんとお会いしたのはまだ新聞社在籍中のころだった。
時間が取れなかったので、主にメールでやりとりをした。
原稿が送られてきた。
なかなかの水準だが、焦点が絞り込めず回りくどい。
書きたいことが山ほどあって、かえって芯(しん)が見えにくい。
そこでサラサラとリライトして返信した。

 

感動してくれた。
「すっきりわかりやすいです。私が書きたかったのはこれだった」
ただ、私の中には『どこまで直していいのか』と戸惑いもあった。
本にするのはAさんの思いである、いうまでもなく。
すらすら読めすぎて、“葛藤”が薄くなったような気がしていた。

 

添削論メモ

車を走らせながら考えた。「人の文章は直し過ぎてもいけない」
そのとき思い浮かんだことを忘れないうちにノートにメモにした

 

人の文章をリライトするのは難しくはない。
ゼロから書き起こすことに比べれば10分の1くらいのエネルギー。
逆に言えば、うまかろうと下手であろうと、オリジナルを書くのは難しい。
Aさんの場合、歯切れは悪いが、言わんとする中身は濃くて重かった。
だからぜい肉をそぎ落として繰り返しを避け、メインの道を1つにしようとした。

 

書き直しを要求したことになる。
心の中にあるものを引き出そうとして、筋の立て方から指導した。
メールでさまざま問い掛け、答えが出るように誘導。
まるで作家をデビューさせるような応対だった。
結果、Aさんは書き切る前に疲れてしまったようだ。

 

なんということをしてしまったのだろう。
自費出版なのだから、自由に書いてもらえばよかったのに。

 

で、きょう車中で浮かんだのが<添削論>なのだ。
編集者は書き手の原稿にどこまで手を入れていいのか。
世に「文章論」はいくつもあるが「添削」を論じたものはあまりない。
だから、自分のやり方をたどってみるしかない。

 

以下、作家の文章のことではない。
「出版したい」と持ち込まれる普通の人の原稿を想定している。

 

「完膚なき添削」というのが1つある。
典型的な例を挙げれば、新聞の投書だ。
決められたスペースに意見を過不足なく入れる。
「素人には無理だ」と新聞社は考えるらしい。
そこでリライトする、文字通り書き直すわけだ。
本人の文体は跡形もない。
署名は入る。
投書に載ればステイタスだから、それでいいのだろう。
(本当にそれでうれしいか?)

 

投書の対極にあるのが「てにをは直し」だけの添削。
いきなり合格点の扱い。
あるいは合格だろうがそうでなかろうが、
「ゼッタイに手を入れてくれるな」という書き手の要求をのむケース。
(私はゼッタイにお断りするが・・・・・)

 

弊社のような出版社が遭遇する原稿は、たいていその中間にある。
Aさんが書いたような原稿だ。
内容は問題ないのだから、余計な言葉をそぎ落とし、
よじれた文章の流れを少し入れ替えればそれでいい。
文脈に添って、言葉も一部わかりやすくする。
見違えた」のだから、結果的にはだいぶ直したのだろう。

(Aさんはやはりおもしろくなかったのではないだろうか)

 

『よい本に』と思うと、どうしてもやり過ぎてしまう。
繰り返すが、Aさんの原稿は下手ではなかった。
それを完ぺきな文章にしようとしたのはこちらの気負いである。
文章はよくなった。
しかし人は本来、直されて気持ちがいい人はあまりいない。
自費出版」の場合、そこが問題になる。

 

自分が費用を出すのだから好きに作りたい、と思うのは当然だ。
しかし「出版社」と名乗る以上「印刷会社とは違う」自負がある。
右から左に、「どうぞ刷ってください」とはいいにくいのだ。
お客さま(著者)に満足してもらうのが主眼だが、
本はその性質上、お客さまだけのものではない。
読者がいて初めて本になる。
だから、読者の満足度が低くなる(と予測できる)本は出したくない。

 

とはいえ、著者と読者との橋渡しの呼吸はやさしくない。
編集者だからといって、すべての本を自分の基準でつくれば、
つくる本、つくる本がなんだか似たテイストになってしまう。
(事実、近ごろは文章が“無難”すぎてつまらない本も多い)
うまいだとか、下手だとか、プロが手を入れるとかえって無個性になる。
そんな落とし穴をきょう、私は直感したのだ。

 

Aさんの原稿、いくつか難点はあったが私には書けない文章だった。
個性と、何よりも人に伝えたいというメッセージ性があった。
常識にとらわれ、「本にするなら原稿は上手でなければ」と思い込み、
つまらない文章にしてしまったのは私だった。
誰でもできるような添削はもうやめよう、と思った。

 

「へた」でけっこう。たどたどしくてもいい。
それが著者の持ち味なら、そこを活かすべきだ。
ゴツゴツすっきりしない部分を切って捨てずに、
それでも読むに堪える文章にするのが<ほんとうの添削>と言うべきだ。

 

なにやらまた、
出版編集という仕事をめんどくさいものにしてしまったような気がする。
うまく書き直すのは簡単なのに、
「へた」を活かしてそれでも味がある文章にしようというのだから。

ジャーナリスト石川秀樹電本館あるじ)

 

【関連記事】

★お客様を鷲づかみにした礼状、 それは”名文”ではなかった!!

★思いを伝える文章は名文に勝る! 渾身の告白に揺さぶられた!!

★日本語は主語を省け!① 99%が知らない簡潔な文章のコツ

★日本語は主語を省け!② 無意識にあなたも実践しているはずだ

★「思いを伝える文章講座」のための一文 実践を強くおすすめ!

Pocket

ads by google